せのあにの焦兎は、常に『自分を励ます言葉や考え方』を
目に入りやすい所にはっつけています。(PCのドキュメント上にだけど
受験生が部屋の壁に『必勝』って書いた紙とか貼り付けてるシーンがありますよね。あんな感じで((
作業手順書などを作る時も、一番上にその言葉を置くことで
何度もやる気をもらったり、脱線防止対策になっています。
名言の方向性の違い
『サボるな!諦めるな!』系の激励や
『ゆっくりやっていこう』系の癒しの励ましなど
名言にもいろいろありますよね。
けれどなんとなく、『尻を叩くような熱い激励』じゃないといけないみたいな風潮を感じることがあります。
自分が「よし、がんばろう!」と思えるのなら、どんな名言でもいいと思うんですよね。
「時には出来ない時もあるさ」みたいなのんびりした名言でも。(それでやる気が削がれちゃったら意味なくなっちゃうんですが
大体が『自分を許すな』系の厳しい言葉なので
『自分を許す』系の励ましでも全然アリだと思うんです。
自分を許すことで余裕が生まれて、その余裕から『着実にやっていこう』と堅実に取り組んでいけたりもするからです。
目標の違い
焦兎が苦手なのは「この行動は意味無いよ」系の名言。
めちゃくちゃ気力を持っていかれます。
確かに余分な行動なのかもしれなくて、『得たいものに効率的に近づくためには必要』なんだろうけど
そうわかっていても、自分がいずれそれをやるんだとしても、『意味無い』と言われると無条件でしぼみます←
『これはやる意味無い』と言う人って、大体『すごい成果を出している人』だったりするんですが
そもそも『現在地』も違えば、実は『目標』も違ってたりします。
『すごい成果を出している人』の目標って、『すごく大きな利益』なんですよ。
簡単にお金で言うと、何億とかそんな世界。
でも自分が目指している利益、本心で欲している額ってそんなに大きくなかったりするので
『そこまでシビアにやる必要ない』って無意識に思ってる可能性があるんですね。
『得るためには余分なものを全て切り捨てる覚悟が必要』とか
それが重たいと感じる場合、そもそも『そんなに莫大な利益を欲してない』のが原因なんじゃないかって。
部屋の電気を付けたいだけなのに、『どの角度からヒモを引っ張って点灯するのが最高効率』とか言われても、めんどくさいだけですよね((
トイレしたいだけなのに、『トイレまでの歩数は6歩以内に、この軌道を走って行くのが最高効率』とか言われても
ただトイレができればいいし、自分の欲する結果のためにそこまで律したいとは思えません。
そしてそれを「これができねぇ奴はゴミ」みたいな強い言い方をされると
目標が違うだけだとわかっていても、無意味に傷ついて、無駄に継続意欲が削がれます。
赤い服が好きだから着てるだけなのに、
「最も人が落ち着く色は青ですよ。」とか
「そんな色はバカの着る色です」とか言われたら、
知るかと思いながらも、なんか傷つくんですよね。
目標の違いで合う名言も違う
どんな名言も法則も、目標によって人それぞれ。
だから『やる気の削がれる名言』は、例えどんな偉人が言っていようが、100人中99人がそれが正しいと思っていようが、参考にする必要ないと思います。
なんでもかんでも『嫌だから遠ざける』ってしたら成長できないんじゃないの?
と思うかもしれませんね。
実は、それもその通り。
成長したいのであれば、不快であっても今の自分を壊して、さらに上の世界を取り入れなければなりません。
ただ、成長って、なんでもかんでも「自分が嫌がるものを取り入れればいいんだ」ということでもないんです。
『目標』に近づくために必要なものを取り入れてこその成長。
『目標』が何かを基準に考えるのが一番大事で、
目標とは関係のない『自分が嫌がること』を取り入れても、それは『成長』ではないのかもしれません。
ただ、その名言がほんとうに嫌だと感じるのであれば、
もしかしたら『目標』から、見直す必要があるのかもしれませんね。
目標次第で助言にも暴言にもなる
自分のこんな意見は誰かにとっては不完全で、
誰かにとっては弱っちくて胸糞が悪い意見かもしれない。
それと同じで、攻撃的な意見だって、誰かにとっては励ましとなって
誰かにとっては挫折の原因となるかもしれない。
だからこそ各々が、『これが必要だ』と思うことを言っていればいいんだと思います。
けれど、成功している人ほど
自分の意見は正しいと思っているだろうし(事実そうだし)
もしかしたら、不必要なものを削ぎ落してやるのがその人の為だってぐらいの気持ちで
厳しい意見を言うのかもしれません。
きっと『状況を悪くしよう』と思って発言している人は滅多にいないから、
その言葉が居心地悪ければ、自分で別のところへ移動してみるといいのかもです。
発信している本人に直接、「不快なのでそんなこと言うのはやめてください」という必要はないと思います。
同居している隣部屋の人がうるさいならまだ仕方ないにしても、ネットの世界は特に広いですからね。
自分が居心地のいい場所へ行けばいい。その人だって自分の居心地良い世界で、好きなこと言ってるだけだから。
焦兎みたいにこうやって、自分の小屋の中で一人でぶつぶつ自由に書いたらいいのです←
なにかしらの実績があって、厳しいことを言う人はほとんどが
その人の弱さを打ち砕いて、強くレベルアップさせてあげようとしてくれてるだけなんですよね。酷いこと言ってるんじゃなくて。
今の自分を肯定されるだけだと、成長しにくいから、そういうところを叩いてくれるありがたい存在。
でも、やっぱりトゲトゲした表現が辛い←
『その行動は無意味』じゃなくて『こっちの方がもっと良い』と言ってほしい(知らんがな
アドバイスやってるだけありがたいと思えって話ですね←
兎にも角にも、『自分が進みたい道(目標)』をハッキリさせること。
自分が本当に得たいものを、既に得ている人の意見は
不快であっても、悲しくても苦しくても、取り入れる価値のあるものです。
でも、本当に自分がその考え方を嫌だなと思っていたら
案外、本当に得たいと思っていたはずのものは、実はそんなに大切なものじゃなかったという可能性もあるかも。
ただただ成功している人の意見を鵜呑みにしていても、幸せにはなれないのかもしれませんね。