
こんにちは。せのあにこと世界のアニマル、うさぎのぴょいんです!
先日、こんな意見を見かけました。
『車輪の再発明は無駄である。』
主にIT業界で使われる言葉らしいのですが・・・
既に車輪というものは発明されているのに、それを知らずに一から作ってしまったら、『時間の無駄』と感じる・・・などなど。
今回は、その言葉について、絵を描く時に思うことを書いてみたいと思います。
簡略化した資料を基礎にするのはNGだけど・・・
以前、『参考と認識についての思考』という記事の中で、
ざっくり言うと「参考書などをどんどん参考にするべし」というような意見を書きました。
認識を増やすという目的でなら、参考書というのはとても役立つものだと思いますが、
もしも基礎理解の前に参考書を基礎として学んでしまうと、成長が滞ってしまうのではないかと思いました。
簡略化したものから学ぶだけだと、
基礎の知識を土台とせずに、そのモノを描く『コツ』が土台となってしまうからです。
基礎知識の量があまりに少なくて、動きの固い、いつも同じような絵になってしまうのではないかと思います。
料理が苦手な妻にカレーの作り方を教えたら
晩ご飯がカレーばかりになってしまう、みたいな。・・・ちょっと違うか←
しかし、だからといって
「1から学びなおすべき」
「全てを自分で発見したほうが良い」
というわけでもないと思うんです。
繰り返しても意味がない
『車輪の再発明』という意見には、ぴょいんは言ってしまえば賛成派です。
ぴょいんは絵を描くことが好きで、パソコンを使ってデジタル絵を描くのも好きなんですが、
だからといって「パソコンから作ろう」とは思いません。
『参考と認識についての思考』という記事の中でも書きましたが、
既にある知識は大いに吸収して、どんどん成長したらいい!と思っています。
そうして、技術や知恵を継いで生まれる作品は、進化を感じて魅力的ですし・・・
わざわざ、既にあるものをもう一度発明はしなくていいという考えです。
全国、全世界に今や普通にどこにでもある道路。
大体歩道も確保してあると思うので、徒歩・自転車・車など様々な手段で、思い立ったらどこへでも行き放題ですね。
しかしこの『道路』・・・一体どれだけのコンクリートが敷き詰まってるんだろう?
きっと、道路を作り続ける人生だった人がいるのでは・・・。
道路を作った人だって、『○○に行きたい』と願ったから道を作ったんじゃないでしょうか。
他の人が作った『道』を通って、現代の私達は行きたいところへ行けます。
だから私達は再び同じ道を作るんじゃなくて、その道を作った人の願いと共に、もっと先へ進むべきなのでは・・・(壮大
みたいな感じで、『他の人がやっていることを繰り返しても意味が無い』という意見があるのではないかと思います。
『自分のオリジナルの作品を作りたい』と思っている人がいるとします。(というか、創作をする人なら『誰かとかぶってる物語を書きたい』なんてほとんどの人が思いませんよね・・・(;= =)たぶん)
自分だけの新しい作品を作るためにも、既にある作品や、既に解明されている知識を頭に入れて
それをヒントに自分のオリジナルを作っていく、ということが出来ると思います。
もしも自分が人生をかけて生み出した作品が、既に昔に誰かが作っていたものと同じだったら
『意味がない』と感じてしまうんじゃないでしょうか。
けれども同じことがしたい
昨今は、本当にハイテクな時代になりましたね。
色塗りでさえも、人工知能がやってくれたり・・・
アニメーションも、3Dでぬるぬる動くものが普及してきました。
車輪の再発明は無駄だし、
もう絵の練習とか、する必要ないのでは・・・とか思っちゃいそうなぐらい、技術の発展がめざましいですよn
え?したくない?なぜ・・・((
『火おこし』の部分を、『自分がしたいけど車輪の再発明なこと』に置き換えて考えてみてください。
資料を見て知識にするだけではもの足らず、自分でもやりたい、作りたいと思ってしまう・・・
ゲームなど特にそうじゃないでしょうか。攻略法を見て、自分でクリアしたい。
火おこしも、遥か昔から人間がやってきたことで、既にやり方は解明されているけどそれでもやってみたい・・・
それは、車輪の再発明だから意味は無いんでしょうか?
同じことを繰り返す、ということの全てが無駄な時間というわけではないと思うんです。
私達の『同じことをしてみたい』という気持ちは、
火を起こす方法を発見したいと言っているわけではなくて
体験してみたいと思っているんですよね。
この世で既に発見されていることであろうが、それは『自身の未知を解消する』という
大切なプロセスなのではないかと思います。
自分の道を進めばよい
目的がもし『料理をすること』であったなら、火を起こす方法を再発見はしなくてよいと思います。
しかし目的が『火を起こすこと』であるなら、火の起こし方を学び、火を起こす練習をすればいいし
『火を起こす方法を発見すること』が目的だったなら、生活の中の火に関する出来事を観察などして、火を起こす方法を考えてみればいいんです。
もしかしたら、まだ未発見の火の起こし方が発見されるかもしれないし。
基礎の強化にもなるかもしれません。
一度発見されたからといって、それがこの世の100%の答えであると決め付けてしまうのは、怖いこと・・・というか、
なんにでもそうですが、100%解明できることなんてこの世にあると思いますか?(脱線
絵の話に戻しますと、
絵を描く目的にも色々な目的があって、
自分が本当にやりたいことのために目的を見極めて、
車輪の再発明だろうがなんだろうが、自分が求めることをやるべき!と思います。
そこに根拠や理屈なんか必要ないとも思います。(今までの考察はなんだったのか
この世にもう既にムキムキな人がいるからって、
その他全人類はもう筋肉を鍛えなくていいと言えるでしょうか。
それか世界最高記録を更新することにしか意味はないんでしょうか。
そう考えると一目瞭然で、自分の限界を求めて行けるところまで行くのが大事だと思うんです。
おわりに
同じことを繰り返すことに意味は無い、と思われそうだけど、そうでもないよということを伝えたかったので、このようなテーマで執筆してみました。が・・・
脱線しまくりで、あまり釈然としない記事になってしまいました。
説明しきれなかった所も多すぎるので、いつかまたまとまった時に詳しく解説できたらなとも思います。
とりあえず、どこかのうさぎの拙い思考として、軽く読み流していただけたら・・・(*´= =)←
あと、よくわからないトップ画像ですみません。遊びたくなってしまいました←
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
ちなみにですが、車輪の再発明という言葉には『四角い車輪の再発明』というパターンもあるそうで・・・
『既にある発明を繰り返した上に、その発明よりも役に立たないものを作ってしまう』という意味だそうです。
ダメじゃん~((*´= =`*))と笑いながらも、心の中で冷や汗をかく焦げうさぎ←
自分が思うこんな思考も、もう世の中のどこかには既出のものだろうとは思いつつも
絵を描いていると膨大な発見があって、普段の生活にも活かせるような考え方をいっぱい学べて楽しくて仕方が無いので
絵を描くことをやめられないぴょいんなのでした。

読んでいただき、ありがとうございました!
絵の描きかたではありませんが、こんな記事もあります。