タイトルで遊んではいけないと、あれほど…
ぶーぶーが教えてくれた『輝き』についてのお話をしたいと思います。
高級外車の販売員さん
ある日せのあには、ようつべで『高級車買ってみた』みたいな動画をぼけーっと見ていました←
するとその動画には、本題の高級車よりもひかり輝いているものが…
それはなんと、高級車の販売員さん。
若い男性で、スーツを着こなし髪もパリッと決まっていて
最上級の接客に思わず見とれてしまいました。
有名人を前にしてもひるむこともなく、ただ極上のおもてなしを堂々とするその姿に、
ぶーぶーも同じようなものを感じたようで
「すごい、とがっていて
叩き抜かれて光り輝く、鋭い刃って感じだね。」
なんて話をしていました。
あの販売員さんの姿を見て、
『どんな世界でも、極めた姿はうつくしいんだな』
と、そんなふうに思ったのです。
なんでも『極めれば』いい?
どんなものでも、やり続けて極めれば、きっと叩き抜かれた刀みたいになれる。
でも、例えば『嫌な仕事』をずっと極めていったところで、誰でもこんな風になれる?と疑問に思いました。
どうもそうは思えなくて、もんもんと考えていたら
ぶーぶーがこんな話をしてくれました。
行者がもしも「修行いやだぁぁぁ早く終われぇぇぇ」と思いながら修行をしていて
修行が終わった後に「こんな修行やってられっか!(お寺の裏で小動物いじめながら)」とかだったら、まったく輝きがない。
対して、行者がもし「自分はこうなりたいから、修行を3年間やりとげてやる!」という思いで取り組んでいたら、とても輝いている。
なるほど、と思いました。
滝に打たれながら「くそっ!なんでこんな辛いことしなきゃいけないんだ…いつかあいつに復讐してやる…」とか思いながらやるのと
「なるほど…滝に打たれるってこんなに厳しいんだ…!これを潜り抜けた人たち尊敬!」「どうやったらこれを乗り越えられるんだ!」「なるほどそういうことなんだ!」
と沢山の気づきや学び、いろんな感謝を感じながらやるのとじゃ
同じ3年でも、全然違いますよね。
思考停止で作業し続けても、人間性はなにも変わらず
それで積み上げた3年は、なにも学ばず、ただ体を動かしつづけただけの3年というだけ。
その3年で実績や多少の技術を習得していようが、恨み続けたおかげで得たものがあろうが、
そんな風に修行はしたくないな、と思いました。
自分が本当にしたいこと、自分が望む目的などを念頭に置いて積み上げをしていかなければ
成長も、研ぎ澄まされることもない。
『早く帰りたいバイト学生』とかも同じかもしれませんね。
感謝のない、お小遣い稼ぎのためだけのバイトで、
「早く終われー」「やっと終わった」「やってられるかこんな仕事!」
そのままだと、実績だけが増えた、輝きのない人間になってしまうかもしれませんね。
とはいえ、これを書いているぴょいんも、
バイト中は「あ~早く終われ~」としか思ってないんですけれどね←
でもせっかくなので、自分がなんのためにこのバイトをしなければならないのか、改めて考えてみるぐらいはしてみようと思います((
「自分はこうなりたいから、それをやり遂げてやる!」と思えるところに、成長あり。
いつか光輝く鋭い刃みたいな兎になれるように、精進していけたらなと思います。
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